※この記事は、職場いじめやハラスメントを経験し、最終的に適応障害で退職した私の実体験です。
退職した今だから言えますが、私は一度や二度ではなく、何度も会社を辞めようと思いました。
それでも9年間働き続けました。
なぜ辞めなかったのか。
今振り返ると、辞めたい理由と同じくらい、辞められない理由もたくさんあったのだと思います。
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▶『もういいです』と言われた日。 理不尽な職場で感じた悔しさと、小さな気づき
私は3回、本気で退職を考えた
班長になった頃、上司から怒鳴られて泣きながら帰ったこともありました。
でもその頃は「会社を辞めたい」というより、「班長を辞めたい」という気持ちでした。
本気で退職を考えたのは、その後の3回です。
1回目 本気で転職を考え、派遣会社に登録した時
フキハラ上司の下で働いていた頃のことです。
作業内容を記録したノートを見て、いつもと違う内容が書かれていたため確認しました。
上司に聞くと「それでいい」と言われたので、その通りに作業をしました。
ところが後日、それはやってはいけないことだったとわかりました。
他の班長に相談すると、
「私も同じ解釈をしたと思う」
と言われました。
ノートには管理者が使う呼び方が書かれていて、私たち現場の人間には馴染みのない表現だったのです。
私は一応謝っておこうと思い上司のところへ行きました。
でも返ってきたのは、一方的に私が悪いという話でした。
悔しくて涙が出ました。
「ああ、もう辞めたい」
そう思いました。
その時、私は初めてホットスタッフに連絡しました。
良さそうな求人を見つけたからです。
でも登録に行った時には、その仕事はすでに他の人に決まっていました。
結局、そのまま会社に残りました。
2回目 ここにしか居場所がないと思った時
フキハラ上司との関係は、その後も改善しませんでした。
私には冷たい。
他の人には普通。
そんな態度の違いを感じるようになりました。
「嫌われているのかな」
そう思うことも増えました。
毎日が苦しかったです。
その頃、私は再び転職を考えました。
ホットスタッフで正社員の仕事を探そうとしました。
しかし、
「最初から正社員は難しいと思います」
と言われました。
派遣の仕事を勧められましたが、私は断りました。
当時の私は、
- 派遣は3年しか働けない
- 派遣は嫌な仕事を押し付けられる
そんな先入観を持っていました。
今思えば誤解していた部分もあります。
でも当時は本気でそう思っていました。
子どももいました。
生活もありました。
失敗するわけにはいきませんでした。
そして私は、
「私にはここしかないんだ」
と諦めました。
その後、その上司は会社を辞めました。
正直、ホッとしました。
3回目 「もういいですよ」と言われた時
新しい上司は、何でも聞ける人でした。
冗談も言えるし、相談もしやすい人でした。
私は少し安心していました。
でも別の問題がありました。
要領が悪く、現場をまとめることができませんでした。
その結果、職場で強い立場の人が威張るようになりました。
そして、あの日です。
「もういいですよ」
その言葉が決定打になりました。
私は限界でした。
その後、適応障害と診断され、退職することになりました。
それでも辞められなかった理由
今振り返ると、辞めたい理由はいくらでもありました。
でも辞められない理由もたくさんありました。
家が近かった。
子どもが小さく、時間の融通がきいた。
土日や年末年始、お盆も休めた。
収入も必要でした。
班長として必要とされている実感もありました。
仲間もいました。
そして何より、転職が怖かった。
新しい環境に飛び込む勇気がありませんでした。
今だから思うこと
退職した今、
もっと早く辞めても良かったのかもしれないと思います。
なぜなら、体はかなり前からサインを出していたからです。
不整脈。
休日の体調不良。
常に力が入った状態。
後になって振り返ると、無理をしていたのだと思います。
ただ、当時の私には簡単に辞めるという選択はできませんでした。
子どものこと。
生活のこと。
将来の不安。
いろいろなものを背負っていました。
だから、あの時辞められなかった自分を責めるつもりはありません。
でも一つだけ思うことがあります。
もし今、昔の私と同じように悩んでいる人がいるなら、
体が出しているサインだけは無視しないでほしい。
私はそれに気づくまで、ずいぶん時間がかかりました。
私の職場いじめ体験はここから始まりました
班長になった頃は、まさか自分が退職することになるとは思っていませんでした。
職場で何が起きていたのか、退職までの経緯は第1話から順番に書いています。
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