※この記事は「質問が怖くなった理由 ― 3人の工場長の話」シリーズの第1話です。
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怒鳴られて、教えてもらえなかった日々
工場長が変わったのは、3回でした。
そのうちの1人目は、今思えば典型的なパワハラ気質の人でした。
当時の私は班長。
現場のまとめ役という立場でした。
責任はある。
でも、決定権はない。
その板挟みの中で、私は毎日立っていました。
理由を聞かれる前に叱責される
作業が少しでも遅れると、すぐに呼び出されました。
「なんで遅れてるんだ」
理由を説明しようと口を開く前に、
強い口調で叱責される。
現場の人数が足りないこともありました。
機械のトラブルもありました。
急な変更もありました。
でも、それを伝える時間はありませんでした。
説明より先に、怒鳴られる。
そして会話はそこで終わる。
アドバイスは、なかった
叱られた後、私は必ず考えました。
「どうすればよかったんだろう」
でも、改善方法は教えてもらえませんでした。
「次はこうしろ」もない。
「ここが足りない」もない。
ただ怒られる。
それだけでした。
質問するのが怖かった
忙しそうなタイミングで問題が起きると、
私は心の中で何度も迷いました。
「今、声をかけたらまた怒られるかもしれない」
でも班長として、判断しなければならない。
勇気を出して声をかけると、不機嫌な顔。
時には逆ギレのような態度。
質問したはずなのに、
なぜかこちらが責められる。
「他の人に聞け」
突き放されることもありました。
責任はあるのに、材料がない
班長なのに、判断材料がない。
決めなければならない立場なのに、
教えてもらえない。
現場に戻ると、
みんなが私を見る。
「どうするんですか?」
でも私は、答えを持っていない。
それでも私は思っていました。
「私が悪い」
「班長なんだから、もっとできるはずだ」
人格を否定される言葉
仕事の指摘だけではありませんでした。
人格を否定されるような言葉も、何度も浴びました。
悔しいというより、
だんだん感情がなくなっていく感覚。
でも当時は、それをパワハラだとは思いませんでした。
「上司は厳しいもの」
「私が未熟だから」
そうやって自分を納得させていました。
あれは指導ではなかった
今振り返ると、はっきりわかります。
あれは指導ではありませんでした。
改善のための叱責ではなく、
威圧でした。
私は育てられていたのではなく、
萎縮していました。
小さくなって、
目立たないようにして、
怒られないようにすることばかり考えていました。
「質問するのが怖い」という後遺症
その経験は、後に残りました。
新しい職場でも、
「質問するのが怖い」という感覚が消えませんでした。
聞かなければ進まないのに、
声をかける前に心臓が強く打つ。
あの時、気づけなかったけれど。
今ならはっきり言えます。
あれは、異常でした。
そして私は、
悪くなかった。
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