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疲れる日もある。それでも私はこの働き方を選ぶ

※この記事は
**「第2部|壊れない働き方を探した記録」**の一話です。

再就職してからも、
すぐに元気になれたわけではありません。

怖さが残ったまま働くこと。
距離を取りながら続けること。
無理をしない選択。

第2部では、
壊れないための働き方を探した時間を書いています。

同じように迷っている人に、
静かな安心が届けばと思っています。

正直に言うと、
今の仕事は、決して楽ではありません。

慣れてきたとはいえ、
体はしっかり疲れます。

家に帰って、
玄関で靴を脱いだ瞬間、
そのまま動けなくなる日もあります。

「ちょっと座るだけ」のつもりが、
気づいたらしばらく立ち上がれない。
そんな日も、珍しくありません。

若い頃のように、
寝れば回復する、とはいかなくなりました。

疲れは、
ちゃんと体に残ります。

それでも私は、
この働き方を「やめたい」とは思いません。

不思議ですが、
疲れているのに、
折れていないのです。


目次

疲れるのに、折れていない

自分でも不思議でした。

体は正直に疲れている。
でも、心は折れていない。

昔は、まったく逆でした。

体は動くのに、
心のほうが先に限界を迎えていた。

朝、目が覚めた瞬間からしんどい。
会社に行くことを考えるだけで、
胸が重くなる。

あの頃は、
「疲れた」という感覚すら、
ちゃんと感じられていなかった気がします。

今は違います。

疲れはある。
でも、怖くない。

この違いは、
思っていた以上に大きなものでした。


心が削られない場所

今の職場で、
一番ありがたいと感じていること。

それは、
人格を否定されないことです。

注意はされます。
ミスも指摘されます。

でも、
人として否定されることはありません。

「何やってるんだ」ではなく、
「ここはこうしようか」。

この違いだけで、
仕事の重さは半分になります。

昔の私は、
叱られるたびに思っていました。

「私はダメな人間なんだ」
「存在ごと間違っているんだ」

仕事のミスと、
自分の価値を、
切り離すことができませんでした。

今は違います。

仕事は仕事。
私は私。

分けて考えられる。

それだけで、
呼吸ができるようになりました。


頑張りすぎないという選択

私はもう、
壊れるほど頑張る働き方には戻りません。

手を抜くわけではありません。
適当にやるわけでもありません。

でも、
自分を削るほどは、やらない。

それが、
今の私のルールです。

昔は、
「頑張る=正義」
だと信じていました。

無理をすること。
耐えること。
我慢すること。

それが評価につながると、
思い込んでいました。

今は違います。

「続けられること」
それ自体が正解だと思っています。


「十分やっている」と認める練習

50代になって、
初めて身につけた感覚があります。

それは、
**「これで十分」**という基準です。

若い頃の私は、
いつも足りない気がしていました。

もっとやらなきゃ。
もっと耐えなきゃ。
もっと評価されなきゃ。

どこまで行っても、
ゴールが見えませんでした。

今は違います。

今日も働いた。
無事に帰ってきた。

それで合格。

この基準に、
自分で変えました。

最初は違和感がありました。
でも、この基準にしてから、
心がすり減らなくなりました。


働く理由が変わった

昔は、
会社のために働いていました。

期待に応えるため。
迷惑をかけないため。
評価を落とさないため。

今は違います。

自分の生活のために働いています。
家族のためでもあります。

でも、
一番最初に守るのは、
自分です。

この順番を、
ようやく間違えなくなりました。

それだけで、
仕事の意味が変わりました。


今の私の答え

疲れる日もあります。

体は正直です。
楽ではありません。

でも、
壊れていない。

これが、
今の私の答えです。

完璧じゃない。
誇らしくもない。

それでも、
続いている。

それだけで、
十分だと思えるようになりました。


第2部をここまで読んでくれたあなたへ

もし今、
同じように働き方に迷っているなら、
これだけは覚えておいてほしいです。

楽を選ぶことは、
負けではありません。

壊れない道を選ぶことは、
弱さではなく、賢さです。

私は、
ずいぶん遠回りして気づきました。

でも、
気づけた。

それでいいと思っています。


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